何年有半

見たことについて書きます。

『AKIRA』と神作画と1970年代

 4Kリマスター版の『AKIRA』が2週間限定でリバイバル上映されるということで、立川にあるシネマシティまで遠路遥々旅をしてきた。初めにこの作品を知ったのは中学生の頃だっただろうか。美術の教科書で「世界に影響を与えたアニメ作品」として紹介されていたのが、この作品を知った始まりだったと思う。しかしながら実際に作品自体を観る機会は中々訪れず、10年の歳月を経て初めて鑑賞に至った。

 作品を通してまず思ったのは、『攻殻機動隊』と『新世紀エヴァンゲリオン』を足したような作品だな、ということだ。近未来のディストピア化した東京を舞台に政治とアクションが描かれる点は攻殻機動隊とよく似ているし、爆発を原因とする遷都や哲学的なラストはエヴァを彷彿とさせる。攻殻機動隊エヴァが90年代の作品であるのに対し、AKIRAは80年代の作品であるとのことだから、これらの作品に強い影響を与えた作品なのだろう。特にエヴァに関しては、セントラルドグマに収容されたアダムを目指して侵攻する使徒とそれを阻止せんと動くNERVという構図、およびアダムと使徒の邂逅が人類を破滅に導くという設定は、AKIRAから着想を得ているように思われる。

 また、この作品は超能力のような、強大すぎる力を持った人間を描いた作品としても、強い影響力を持っているように思う。例えば、漫画『僕のヒーローアカデミア』のデクと爆豪の複雑な関係は、金田と鉄雄の関係を彷彿とさせるし、初期の爆豪のメンタリティは、力に溺れた鉄雄のそれと類似した部分がある。また、小説『新世界より』に登場する種々の悪鬼や業魔の表現も、鉄雄の影響を強く受けているのだろう。このように、この作品(の特に鉄雄に関する表現)は、表現媒体の壁を超えて、のちの様々な「超能力者モノ」に強い影響を与えているように思われる。

 もっとも、数多くの作品に影響を与えたと言っても、それはあくまで過去の話である。攻殻機動隊よりも政治についての描写は拙いし、哲学的なラストといっても、エヴァのように神話をモチーフにした壮大なストーリーが繰り広げられるわけではない。そういった意味で、90年代以降に生まれた者達がこれを見て、もし何かの作品の劣化版のように感じてしまったとしても、それは無理からぬことだと思う。

 しかしながら、実際にはこの作品は、当時のファン達だけでなく、現在に至るまで多くの若者を魅了し続けている。その理由は、大きく分けて2つあると私は考えた。

 一つ目の理由は、映像表現の巧みさである。この映画、80年代の作品にも関わらず、とにかくヌルヌルとよく動く。今でこそ「神作画」が一般的となり、『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』、『チェンソーマン』のようなヌルヌルと動く作品が一般的となってきたが、私の知る限り、昔のアニメは低フレームレートでほぼ静止画のような作品が一般的であった。ところがこの作品は、昔のアニメとは思えないほどヌルヌルと動く。その上、カメラワークが非常にオシャレでカッコいいのだ。序盤に展開される敵対チームとのバイクでの抗争、特に金田と敵のボスとのチキンレースのシーンで、視聴者は一気にそのカッコ良さに引き込まれることになる。客観的には単なる粗暴な行為であって、一歩間違えればただの『MAD MAX』なのだが、その洗練された表現ゆえに美を感じずにはいられないのだ。それに加えて、鉄雄が路上で幻覚に襲われるシーンや病室でタカシ等にぬいぐるみを使ったイタズラを仕掛けられるシーンに代表されるように、「異常で不気味な状況」を描くのが非常に上手い。これによって、視聴者に適切に恐怖心を喚起させ、作品の中に引きずり込むことに成功している。このような映像表現の巧みさが、この作品を現代にまで影響を与える名作たらしめているのだろう。

 二つ目の理由は、この作品が現代にも通じる社会の悩みを描いている点である。周知の事実だとは思うが、AKIRAは2019年が舞台ということにはなっているが、その実、作中で描かれているのはおそらく1970年代の景色だ。冒頭で描かれる学生と警察組織の衝突、AKIRAを目覚めさせんと過激な活動を行うテロ組織。明らかに70年安保と日本赤軍をモデルにしたものである。主人公の金田らは徒党を組んで暴走行為に耽り、街にはカプセルなるものが横行しているが、調べてみると暴走族や若者の薬物使用が社会問題化したのもこの頃らしい。幹部会では田中角栄らしき政治家が「前政権の税金政策の歴史的失敗の尻拭いを……」と滔々と語り、敷島大佐はエレベーター内で「30年でようやくここまで」と呟く。最高幹部会のメンバーの誰かが言ったように、「もはや戦後ではない」と言われてから15年。経済はなお絶頂の最中にありながら、同時に様々な問題が噴出し、社会が混迷を極めていた時代。街は煌びやかな灯りで彩られ、人々は享楽に耽るが、それでも社会にはどこか閉塞感が漂う。AKIRAはそんな時代の雰囲気をよく表現していると思う。そしてこの閉塞感は、経済の衰退が進み、情報社会の発展に伴って、明確にディストピア化していく現代社会でも同様に感じられるものとなっている。このような、現代社会にも通底する閉塞感を的確に描いたことが、この映画が評価される理由の一つなのかもしれない。

以上